こんにちは、リコリスです。
11/4(金)19:57~20:42放送の【チコちゃんに叱られる!】では、日常生活では当たり前のように存在している、
- 敬称の「様」って何?
- 地球に空気があるのはどうして?
- 何故「だるまさんがころんだ」と言う?
の3つが題材です。
いつも普段は疑問に思っていなくて、改めて問われると「そういえばどうしてだろう?」と思わされるんですよね。
この記事では「だるまさんがころんだ」に焦点を当てていきたいと思います。
小さい頃に誰もが一度くらいはやった事があるんじゃないかってくらい、ポピュラーな遊びですよね。
ではここで私もチコちゃんのように疑問があるんです。
そもそもだるまって何?
イメージはできますよ、あの赤くて丸いヤツ。
でも何故赤い色なのか、何故あんな丸いフォルムになったのか、誰が作り出した物なのか。
さっぱり分からないんですよね。
その疑問を解消すべく調べてみました。
そもそも「だるま」って何?
←これ。
……だけでは味気ないので、もう少し詳細を。
特徴としては丸くて赤い置物ですかね。
画像のような片目のだるまは願掛け用で、願い事をしてそれが叶うともう片方の目も書かれます。
政治家の選挙事務所の映像とかに映っている事もありますね。
しかし昔から願掛けの時に必要とされているのかなと思いきや、だるまにはそれ程長い歴史はないんですよ。
以下↓から説明していきますね。
だるまのモデルになったのは?
実は達磨大師(だるまたいし)というモデルがいます。
本名は分かりませんがインド出身の人で、「禅(ぜん)」を世界に広める為に旅をしていました。
彼は生まれ故郷のインドから中国、日本と渡り歩き禅の教えを広めました。
正確には禅宗。
中国から日本に伝わった、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などの宗派をまとめた総称として禅宗と呼ぶ。
人間本来の生き方をし、座禅を組んで精神統一を行う。
達磨大師は9年もの間ずっと洞窟の壁を向いて座禅を組んでいたという話が残っており、この時あまりにも長時間じっとしていたので、途中で手足が腐り落ちてしまったと言われています。
だるまに手足がなくて頭と胴体だけなのは、この話が元になっている部分と、室町時代に伝わった「起き上がり小法師」と組み合わされた形になったからです。
この画像からも分かるように、達磨大師は髭だらけの強面に加えて赤い着物を着ています。
この見た目も今現在知られているだるまの元になっているのかもしれませんね。
実は〇〇が達磨大師と出会っていた
「日本書紀」や「片岡山飢人伝説」に記されているのですが、実は聖徳太子が達磨大師(の化身)と出会っているんです。
片岡山という場所を通りかかった時、飢えと寒さで死にかけている外国人の浮浪者の男を見付け哀れに思った聖徳太子は、彼に衣服や食料を与えましたがその甲斐なく亡くなってしまいました。
その遺体を葬った後日、墓を訪れてみるとその遺体が消えていたそうです。
昔の日本では土葬が主流だったので、恐らく墓が完全に壊れていた為に簡単に分かったのではないでしょうか。
棺の上に聖徳太子が与えた服がきちんと置いてあった事から、墓荒らしによって壊されたのではなく徳を積んだ人の化身が息を吹き返して帰って行ったと判断されたようですね。
いや生前や化身がどうであれ、死体が動いて消えるとか本当怖いんで止めて。
その墓の上に立てられたのが、古墳の上に建立されたと逸話の残る「達磨寺」だと現代にまで伝わっています。
だるまの発祥の地は何処?
奈良県王寺町と片岡山の達磨寺が達磨の発祥の地として有名ですよね。
大阪府と奈良県の県境で、歴史的価値を持つ自然豊かな場所と言われています。
ここには上記でも書いた、聖徳太子が飢えて亡くなった達磨大師の化身を葬った場所でもあります。
つまりこの寺の下には…。
引用元:Wikipedia
だるまは今では縁起のいい置物として愛用されていますが、江戸時代に疱瘡(現在で言う天然痘)が流行した時には魔除け・願掛けをする対象でした。
天然痘ウイルスによる非常に強い感染症で、何もしなければ致死率は20~50%。
例え治癒したとしても体には目立つ痕跡が残る。
人類には殆ど影響のない近縁種の牛痘をワクチンとして接種しておく事で、天然痘の撲滅に成功した。
だるまの赤い色が病魔を追い払う魔除けの効果があると信じられ、また「起き上がり小法師」と組み合わさった、重心が低く丸い形によって決して倒れない構造に。
疱瘡の流行時には、これを子供の枕元に置いて病から守ろうとしたそうです。
それが今の時代まで伝わり、縁起の良い物としても好まれるようになりました。
しかしこんなに集まっていると、いくら縁起の良い物でも気持ち悪いですね。
夢に出てきそうなので夜中には見たくない…。
「だるまさんがころんだ」はどんな遊び?
さて本題に入って行きましょう。
「だるまさんがころんだ」とは、鬼ごっこが元になったと言われていて複数人で行う遊びです。
オニ役が1人選ばれ、他の人はオニ役が「だるまさんがころんだ」と唱えながら自分達とは反対側を向いている時だけ動ける。
↓
オニ役が振り返った時に動いているとその人は捕虜として捕らえられ、味方が近付いてオニ役と繋いだ手を離させるまで逃げる事ができない。
捕虜がいない場合はオニ役に直接タッチする。
↓
味方の誰かがオニ役にタッチする又は捕虜を逃がすと、オニ役以外はできるだけ離れる為にダッシュ。
↓
オニ役が「ストップ」と言った時点でその場で止まり、予め決めてあった歩数分動けるオニ役に捕まった人が交代で次のオニ役に。
というゲームです。
私が子供の頃はそれだけだったのですが、今はそこから新しいルールが加わる事もあり、ポイント制になっていたり、近付く人達はオニ役が指定した行動をする等アレンジされている事もあります。
基本的なやり方はおそらく日本全国で共通していると思うのですが、時代によって独特なアレンジが生まれるのは面白いですね。
「だるまさんがころんだ」の由来は?
「だるまさんがころんだ」は、言ってみれば10を数える為のただの掛け声です。
数字をカウントする時は「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう」となりますが、これでは遊ぶ時には長いんですよね。
なので手っ取り早く10数える為に作られた言葉という事になります。
並べてみると、
「だるまさんがころんだ」
「いちにさんしごろくななはちきゅうじゅう」
明らかに「だるまさんがころんだ」の方が短くて、慌てて早口で言ったとしても楽ですよね。
掛け声は、
- 言いやすく
- 覚えやすく
- 分かりやすく
後は子供の発想から来る語呂合わせなのではないかと思います。
「だるまさんがころんだ」は地域によるバリエーションも
「だるまさんがころんだ」は、地域によって言い方が全く違う事も分かりました。
「坊さん(ぼうさん、ぼんさん)が屁をこいた」(近畿地方)
「練兵場の兵隊さん」(大阪市中央区、法円坂、森ノ宮一帯)
「インディアンのふんどし」(関東地方)
「インディアンのくろんぼ」※
「兵隊さんが通る(った)」
「くるまん(の)とんてんかん」(宮城県)
「乃木さんは偉い人」
「インド人の黒ん坊」(九州中国四国地方・石川県) ※
「寿がきやのやきうどん」
「ひみなこと(5文字と短いためか、唱える回数が決まっていない)」(和歌山県)
「お母さんの貼箱」(新潟県三条市一部地域)
「羊たちの沈黙」
※「くろんぼ」「黒ん坊」とは黒人を差別する言葉なので、現代では使わない方がいいかと思います※
「だるまさんがころんだ」の発祥の地や起源は?
はっきりした発祥年代、発祥の地は不明となっており、比較的その歴史は浅いと思われます。
だるま自体が江戸時代に誕生した物なので、その名前を使った「だるまさんがころんだ」はそれよりも新しいという事ですね。
しかし日本に天然痘が伝わってしまったのは、「だるまさんがころんだ」なんて影も形もなかった6世紀頃。
随分昔から流行と収束を繰り返し、大勢の命が失われてきたのでしょうね。
人間への感染力が弱い「牛痘」を用いたワクチンがもたらされたのは、それよりもうんと後の1849年でした。
まとめ
- そもそも「だるま」って何?
- だるまの発祥の地は何処?
- 「だるまさんがころんだ」はどんな遊び?
- 「だるまさんがころんだ」の由来は?
- 「だるまさんがころんだ」の発祥の地や起源は?
について紹介してきました。
昔から親しまれてきた遊びかと思いきや、それ程長い歴史があった訳ではないようですね。
しかし現代に生きる私達でも、知らないという人がいない程に知名度の高い遊び方で間違いないのではないでしょうか。
ルールがシンプルで分かりやすいので、余計に広まりやすかったのかもしれません。
この機に、他の昔懐かしい童遊びや童歌を思い出してもいい経験になると思います。
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