番組概要
平日午後1時から放送される「徹子の部屋」。
今年もいろんな方が出演していましたが、2021年最後の出演者となるのはタモリさんです。
1977~2013年までの36年間、毎年最後のゲストとして登場しており、8年ぶりにその登場が決定しました。
黒柳徹子とタモリ、その出会いは?
出会ったきっかけは?
このお二人の共通の知人として有名なのが漫画家の故・赤塚不二夫さんですが、特にタモリさんはブレイクする前に赤塚不二夫さんにマンションに居候させてもらって暮らしていました。
タモリさんと黒柳徹子さんが出会ったきっかけは、赤塚不二夫さんが若き日のタモリさんを(強制的に)自分の番組に出演させた後、それを見て興味を持った黒柳徹子さんがコンタクトを取ったのが始まりでした。
今では赤塚さんは亡くなってしまいましたが、彼が繋いだ縁はずっと続いており、タモリさんは「徹子の部屋」への連続出演となりました。
赤塚不二夫ってどんな人?
赤塚不二夫のプロフィール
小学六年生の時に手塚治虫の「ロストワールド」を読んだ事で漫画家を目指すようになり、1956年に「嵐をこえて」でデビュー。
代表作に「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」などがあり、どれも幅広い世代に知られる名作です。
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2008年に74歳で亡くなっていますが、没後もその作品は人気を保ち続けています。
同業者だけでなく、幅広い交友関係を持っていた。
黒柳徹子さんとはお互いが20代の頃にTV番組に出演した事で出会い、それから50年近くも親交があったそうです。
赤塚不二夫さんの晩年は、入院している病室にタモリさんと二人で訪れる程に親しかったのだとか。
若い頃のタモリさんは職業を転々としており、歌舞伎町のバーで芸を披露していた時に運命の出会いが訪れます。
そのバーを訪れた赤塚不二夫さんがタモリさんを気に入り、自分の番組に(かなり強引に)出演させた事でTVデビューを果たします。
その番組を見ていた黒柳徹子さんが「タモリさんを紹介して!」と電話をして、同じように自分の番組に招いて更に知名度が上がっていきました。
しかしそうすぐに売れた訳でもなく、最初タモリさんは赤塚不二夫さんのマンションに居候して生活の全ての面倒を見てもらっていたそうです。
なんでも、赤塚不二夫さんも売れなかった時代には自分の先輩達に面倒を見てもらっており、漫画家として成功した後は今度は自分が誰かの面倒を見る番だとごく自然に思っていました。
還暦のお祝いには同じ漫画家だけでなく、芸能人や政治家、ご近所に暮らす人達も訪れて盛大な宴会となりました。
「情けは人の為ならず」と言いますが、まさにそれを体現していた人だったのですね。
実は感動的なエピソードが…
赤塚不二夫さんが亡くなった時、弔辞を述べたのはタモリさんでした。
手には白い紙を持ち、時々それに視線を落としながら読み上げていたのですが、後でその紙は白紙だった事が分かりました。
まるで武蔵坊弁慶が読み上げた白紙の勧進帳のシーンのようです。
ちなみに弔辞の内容ですが、弁慶の時と同じく、実際に書いていない物だとは信じられないほど素晴らしい内容でした。
そういった事をさらりとやってのけるタモリさんからは、赤塚不二夫さんに対する敬意や信頼を強く感じます。
まとめ
いくつものエピソードから、赤塚不二夫さんはとても心が広くて義理固い素晴らしい人だったという事が分かります。
彼が描いた漫画は何十年経った現在でも強い人気があり、2015年には「おそ松くん」の6つ子が大人になった姿の「おそ松さん」がアニメ化されて大ヒットしましたね。
多くのギャグ漫画を世に生み出し、名前が知られるようになってからも決して驕る事はなかった赤塚さん。
仕事絡みの人間関係だけではなく、彼の身近に暮らす人々にもとても好かれていた彼の生き方は、今でも多くの人に影響を与えていると思います。
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