22歳で夭折の天才画家って誰の事?
村山槐多(むらやま かいた)
まず1人目の画家がこちらの洋画家。
(by.Wikipedia)
明治~大正時代の人で、詩人、作家でもありました。
「槐多(かいた)」という変わった名前は本名で、名付け親は森鴎外ではないかと伝わっているようです。
本名は森林太郎(りんたろう)。
明治・大正時代の人で、軍医をしていただけでなく小説家、評論家、翻訳家、教育者、官僚など、あらゆる分野で活動していました。
彼の子供達は長男・於菟(おと)、長女・茉莉(まり)、次女・杏奴(あんぬ)、次男・不律(ふりつ)、三男・類(るい)と名付けられているのも有名な話ですね。
母親が女中として働いていた縁らしいですが、森鴎外は自分の子供達にも変わった名前を付けているので信憑性はかなり高いのではないでしょうか。
早くに亡くなったので彼の作品はそれ程ないのでは?と思ったのですが、10代の頃には詩をよく作っていたようです。
制作活動は中学生の頃から始まり、詩・木版画・コマ画(マンガ)・水彩画・スケッチ・油絵等、多くの作品が残されました。
両性愛者でもあった彼は、想いを寄せる少年をモデルにした絵も描いています。
画風としては「みなぎる生命力を退廃的・破滅的雰囲気を纏わせながら絵画に表した(by.Wikipedia)」とありました。
そんな彼が残した有名な絵の一つがこの作品。
1917年(大正6年)作で「湖水の女」とタイトルが付いています。
遠縁にあたる女性がモデルになっているという説があるそうです。
この絵、
この「モナ・リザ」に似ていると思いませんか?
イタリアの天才芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ作の油彩画です。
画家の名前も、絵画のタイトルもトップクラスの知名度があるので、まさか知らない人はいないと思いますが…。
現在はフランスのルーヴル美術館に展示されています。
何故イタリア人であるダ・ヴィンチの作品がフランス所蔵になっているのか。
フランス王フランソワ1世に招待されてフランスに滞在した時にもこの「モナ・リザ」を持って行って加筆していたらしく、彼の死後に弟子からフランソワ1世が買い上げた為に所有権が移ったからと言われています。
左右逆になっていますが、モデルの女性の姿勢や雰囲気がかなり似ているなーと思ったのは私だけでしょうか?
もしかしたら何かの折に「モナ・リザ」を見る機会があって、インスピレーションが沸いたのかもしれませんね。
彼は5年しかなかった活動期間で多くの作品を作り上げましたが、中には行方不明となった物や友人達に渡した物もあるそうで、未公開を含むと作品総数は数えきれない程になっています。
寺門彦寿(てらかど ひこじゅ)
もう一人の22歳で亡くなったのが日本画家の寺門彦寿さんです。
この人の情報は本当に少なかったのですが、天才少年と言われていたもののどうやら無名のまま日の目を見る事なく戦時中に亡くなっています。
現在で言う東京芸大の日本画科を首席で卒業したにも関わらず残念な事ですね。
ただし彼の享年は24歳とされている場合があるので、ちょっと曖昧かもしれません。
どのみち早世した事には違いないですが…。
2018年に彼の親族の家にある蔵の中から、作品やスケッチを数十点発見されました。
こちらの「水辺の少年」を書いたのは小学生の頃からだったというので驚きです。
やはり幼い頃から才能の片鱗を見せていたのか、小中学校から既に画家として名前を知られていました。
まとめ
番組に取り上げられる天才画家が誰かは分かりませんが、何となく私の予想では村山槐多さんのような気がします。
彼の作品を他にも見てみたいですし、あまりネットでは見る事ができなかったのが残念でなりません。
何にせよ、若く才能あふれる人が亡くなるのは残念ですね。
コメント