1/7(土)23:00放送の【マツコ会議】に、御年71歳のベテラン女優・桃井かおりさんが出演します。
彼女の特徴と言えば、倦怠感のある独特な喋り方でしょうか。
清水ミチコさんや椿鬼奴さんを始め、ものまねタレントのネタにもなっていますよね。
今では活動の拠点をロサンゼルスに移している事も知られています。
日本で活動していた頃は英語が堪能という話は聞きませんでしたが、いつ頃それを身に付けたのでしょうか。
LAで暮らすようになった理由や、英語力をどうやって身に付けたのかを考えていきます。
*桃井かおりがアメリカ移住の理由は父親の死?LAの自宅はどこにある?【マツコ会議】*
桃井かおりさんのプロフィール
名前:桃井 かおり
本名:宇都宮かおり
生年月日:1951年4月8日
年齢:71歳(現在)
身長:162cm
血液型:O型
出身地:東京都世田谷区
家族構成:両親、兄2人と弟1人の4兄弟
高校卒業後に、両親には内緒で演劇の道へ進む事を決めました。
映画出演がきっかけで一時期は勘当されていましたが、それでも女優の道を諦められずに続けています。
1971年に出演した「あらかじめ失われた恋人たちよ」でヌードを披露していますが、それを見た母親がその場で卒倒したというエピソードも。
かなり厳格な家庭で育ったみたいですね。
桃井かおりさんがLAで暮らす理由は?
ロサンゼルスへ引っ越しをしたのが2004年の事です。
父親を亡くしてからはその死を乗り越える為に自分を追い詰めており、実はこの頃には女優引退を考えていて、死ぬまでに英語をマスターできればいいかな?くらいに思っていたそうです。
しかし拠点をLAへ移してからも、積極的にオーディションを受けるようになっています。
2005年に「SAYURI」で初のハリウッド映画出演を果たしてから、LAに本格的に腰を落ち着かせたと言われています。
2015年には年上の音楽プロデューサーと結婚もしました。
ただしコロナが世界的な流行になってからは、少し不自由な生活となっているそうです。
桃井かおりさんの英語力はどれくらい?
LAで暮らしている以上、英語習得は必須のハズですよね。
初めてアメリカへ渡ったのは1981年の事。
その後帰国していましたが、「父の死を乗り越える為にもっと辛い状況に身を置きたい」と2004年に再び渡米しました。
アメリカへ行って何をしたかと言うと、ハリウッド映画のオーディションを次々に受けています。
という事は、もうこの時点で映画のオーディションを受けられる状態になるくらい、英語は上達していたと言う事ですね。
2005年に「SAYURI」でハリウッド映画の初出演を果たしています。
更に翌年の2006年には「アメリカ合衆国映画俳優組合」に加入しました。
全米映画俳優組合、スクリーン・アクターズ・ギルドとも呼ばれ、
”包括的な労働契約を運用することにより、適正な報酬、福利厚生、労働環境を確保すること、組合員の出演する作品の利用に当たって報酬を確保すること、これらの作品の未承認使用から保護すること、組合員の労働機会の確保と拡大を図ること”
を目的としています。 引用:Wikipedia
同じ年に長編監督デビューした「無花果の顔」が大ヒット。
この作品についてマスコミや観客と質疑応答を繰り返し、更に英語が上達したそうです。
習得する為には実践あるのみといった所でしょうか。
以上の事から、彼女の英語力は現地で暮らすのに全く問題なしのレベルと思われます。
桃井かおりがLAで暮らす理由は?英語力はどれくらい?のまとめ
- 桃井かおりさんのプロフィール
- 桃井かおりさんがLAで暮らす理由は?
- 桃井かおりさんの英語力はどれくらい?
について紹介してきました。
渡米したからには嫌でも英語が上達するとは聞いた事がありますが、私は中学校の頃から英語が苦手なのでとても渡米しようと思える勇気はないですね。
しかし自分にできない事があるからこそ、それをバネにして桃井さんは挑戦してきたのかもしれません。
彼女の経歴を見ると波乱万丈と言う表現がしっくりきますが、未知の領域にどんどん踏み込んでいけるというのは素直に凄いと思えます。
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