11/27(日)23:00放送の【美の壺】は、最近若い人を中心に大人気の市松模様に関する内容です。
そもそも何故シンプルなこの模様の人気が出たのかというと、「鬼滅の刃」という漫画・アニメの主人公とその一族が色違いで市松模様を身に付けているからですね。
引用:鬼滅の刃原画展
2016年から2020年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載されていた漫画で、大正時代を舞台に人間と人食い鬼との戦いを描いた物。
主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が不在の時に人食い鬼が彼の家族全員を惨殺し、後天的に鬼となった妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す為に鬼殺隊(きさつたい)に入って戦う事を決意する。
コミックは全23巻が発売されており、2021年の時点で1億5000万部を売り上げた。
長い歴史の中で残されてきた伝統芸能を紡いでいく茂山さんとは、一体どんな人物なのでしょうか。
茂山逸平のプロフィール
引用:お豆腐狂言・茂山千五郎家
名前:茂山 逸平(しげやま いっぺい)
生年月日:1979年6月12日
年齢:43歳(現在)
出身地:京都府京都市
彼の師匠は父・二世茂山七五三(しめ)、祖父・四世茂山千作、曽祖父・三世茂山千作です。
1983年に4歳で祖父と共に出演した「業平餅(なりひらもち)」の童役で初舞台を踏みました。
在原業平(ありわらのなりひら)が旅の途中に立ち寄った餅屋が舞台。
持ち合わせがなかった彼が餅の代金として和歌を語ろうとするが断られ、どうしても食べたかった在原業平に対し、彼の立場を知った餅屋は代金の代わりとして「自分の娘を宮仕えに」と条件を出す。
在原業平は彼女を宮仕えではなく自分の妻にしようとするが、娘があまりにも醜女すぎたので逃げ出したという笑劇。
彼の家には、子供が初舞台を迎える為にしなければならない決まり事があります。
それに関しては、↓で茂山逸平さんの長男に触れているのでそちらに纏めました。
茂山逸平の学歴は?
伝統芸能一家に産まれた茂山さんは、高校・大学も実家のある京都市から通える範囲の学校に入学しています。
東山高等学校 卒業
1868年(明治元年)に設立され、2018年には創立150周年を迎えた長い歴史のある高校です。
私立の男子校で、中高一貫となっています。
茂山逸平さんの兄である茂山宗彦さんもこの高校の卒業生で、多くの俳優や歌手、プロのスポーツ選手も輩出している名門校です。
所在地:京都府京都市左京区永観堂町51
立命館大学文学部日本史学専攻 中退
言わずと知れた、京都にある名門大学ですね。
偏差値は50.0~57.5。
創立は1869年(明治2年)で、150年以上も続いている歴史の中で優秀な卒業生も多いです。
茂山逸平さんはここを中退しているので厳密には卒業生ではありませんが、中退したのは家業を継ぐ事を最優先に考えた結果なのかもしれません。
所在地:京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1
茂山逸平はいつ妻と結婚した?
結婚したのは2008年の事で、翌年の2009年1月に長男が生まれています。
ですが、茂山逸平さんの妻に関する情報はそれ以上ありませんでした。
というのもその業界では、嫁いできた女性達は自分の名前を名乗らないのが伝統とされているそうです。
あくまで夫のサポートに回り、パンフレットやファングッズの販売を引き受けるマネージャーのような役割なのだとか。
挨拶の際も自分の名前ではなく夫の名前を使い、とことん裏方に徹するみたいです。
なので業界人でもない限り、嫁の名前や顔が一切知られていないのも当然と言えますね。
茂山逸平の子供はいつ生まれた?
茂山逸平さんの子供は長男の茂山慶和(よしかず)くん、6歳年下の長女は茂山和香ちゃんです。
娘さんの方は読み方が分かりませんでした。
わかちゃんかな?
息子を渾名で「かず」と呼びたかった茂山逸平さんが、晴明神社に「和」という字を使った名付けを依頼したそうです。
平安時代中期に実在した陰陽師・安倍晴明を祀った神社で、1007年にその屋敷跡に設けられたとされる。
主なご利益は魔除けや厄除け。
現代では平安時代に最も優れていた陰陽師として扱われる事が多いが、彼が生きた時代では天文博士としても名を残した。
85歳で亡くなっているが、当時としては人外の存在だと疑われる程の大往生だったと言える。
慶和くんは2009年の1月26日に誕生しているので、現在は13歳になっています。
茂山慶和(狂言師)がかわいい!#茂山慶和#狂言師#かわいい#茂山
茂山逸平の長男で経歴や現在は?初舞台の動画も【にっぽんの芸能】https://t.co/coaZ9AcgWu pic.twitter.com/ZdY6863qcJ— toretate-news55 (@TNews55) August 9, 2019
こちらは3年前の姿なので、当時10歳くらいですね。
長男が産まれた時のエピソードは、茂山さん自身の言葉でこう綴られています。
「そろそろ産まれる」と義母から電話があり、帰ると連れ合いが陣痛で36時間もうなっていたんです。東京から京都に戻り、慌てて分娩室に行ったところ、連れ合いから「でていって!」と言われました(笑)。 引用:春陽堂書店
うーん、出産前後の女性は手負いの獣のような状態になると聞いた事がありましたが、正にそんな感じだったみたいですね。
お嫁さんは40時間に近い陣痛を耐え抜いたそうなので、疲労困憊で余計に気が立っていたのかもしれません。
茂山逸平の子供・慶和くんの初舞台は?
初舞台は父親である茂山逸平と同じ4歳。
祖父である茂山七五三(しめ)と共に「以呂波」を演じました。
父親が自分の子供に「いろはにほへとちりぬるをわか」を教える。
その中で自分の言葉を復唱するように指示するが、息子はそれ以外の日常生活でも父親の言動をそっくりそのまま繰り返す。
叱る言葉まで繰り返すのに腹を立てた父親は子どもを引き倒すと、子どもも同じように父親を引き倒して去っていく。
茂山家の伝統で、初舞台に上がる一族の子供はその祖父と共演すると決まっているそうです。
稽古も祖父が孫に直接行い、次の時代の狂言師を育てていくのが伝統になっています。
茂山逸平さんも子供の頃は彼の祖父・四世茂山千作から稽古を受け、その伝統を自分の子供へと代々引き継いでいます。
まとめ
今回の記事では、
- 茂山逸平のプロフィール
- 茂山逸平の学歴は?
- 茂山逸平はいつ妻と結婚した?
- 茂山逸平の子供はいつ生まれた?
について紹介してきました。
先祖から受け継いできた伝統を次の世代に託す為、踏襲するべき大切な事が色々と決められているんですね。
能楽・狂言は今の時代なら録画撮影後に残せますが、それができなかった時代の人達がどれだけの細心の注意を払って残してきたのかは私が想像する以上に難しかったのではないでしょうか。
今では息子の慶和くんも大きくなり、父や祖父達と同じようにその世界に身を置いています。
成長した息子は市松模様を大量に買う父親に呆れる事もあるそうですが、家族が仲良く過ごす事も伝統を正しく引き継いでいく為に必要な事なのかもしれません。
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